お母さんと赤ちゃんの絵

また親ばかなエントリー。
この絵は、小学三年の娘が、産休中の担任へ送った出産祝いのカードに添えたイラストの下書き。これを見て、「どうして左のイラストを消したの?こっちの方が顔が可愛いのに」と私が言うと、娘は「だって赤ちゃんとお母さんの間に隙間ができたから」
その言葉だけで、ほろっときてしまったよ。:'-)

また親ばかなエントリー。
この絵は、小学三年の娘が、産休中の担任へ送った出産祝いのカードに添えたイラストの下書き。これを見て、「どうして左のイラストを消したの?こっちの方が顔が可愛いのに」と私が言うと、娘は「だって赤ちゃんとお母さんの間に隙間ができたから」
その言葉だけで、ほろっときてしまったよ。:'-)
今年も残り僅か。で、大掃除である。例によってまた、整理しなくてはいけない本や雑誌をパラパラと捲って読み返している。
そんな中、頂き物の雑誌「エデュー」の連載記事にいい言葉があったので、書き留めておこう。
子どもを(小学生のころまでに)しっかり抱きしめておけば、それ以降もきちんと叱れる親になります。
また、子どもの方も、しっかり抱きしめられた思い出があれば、叱る効果のある(叱り甲斐のある)子に成長します。「心がつながっている確信」が親子の間に育っていれば親も子も叱り、叱られたことの悲しさやわだかまりを払拭したいと互いが努力をし合います。だからこそしつけも整うというわけです。
(「エデュー」2006年10月号 浜文子 ─ こころのメッセージPP.120-121より)
ほぼ毎日のように夕食後、私・娘・息子と3人で双六やトランプをしている。楽しい家族の団欒のつもりで始めたのだが、すぐに、完全に息子の訓練の為の行為となってしまった。始めてから既に2ヶ月経つが、息子は未だに勝ち負けに拘り、負けた時の怒り方が半端ではない。爆発して床を踏み鳴らしたり、風呂に入らないと宣言したり、遊んでいた双六やトランプをぶちまけて絶対片付けないと叫ぶ。
ゲームをやらなければ済む問題ではない。息子は来春小学校へ入学する。数名、数十名でゲームをする場面で、自分の負けを認めず現在と同じように感情を爆発させていたら、その内きっと誰も相手にしなくなるだろう。
息子は本来、誰かと一緒に遊ぶのは大好きなのだ。公園で初対面の相手とでも、楽しみが共有できれば一緒に何十分でも滑り台やジャングルジムで遊ぶし、玩具売り場の遊べるコーナーで、意気投合した年上の相手と一緒に、合体ロボットの組み立てに1時間以上も夢中になったこともある。しかし、ゲームになると話は別だ。
今日も双六を始める際、娘が「サイコロを振って出た目が大きい人から順番…」と言い終わらないうちに息子はすばやくサイコロを振ったが、出た目が1。次の瞬間、息子はスタート位置に並べていた3つの駒を手でバーンと払いのけ、「僕、やらない!」と膨れっ面でソファにふんぞり返った。「そんならやらないよ!」と怒りたい気持ちを抑え──そこで止めたら訓練にならない──私は息子にやろうよと誘う。それでも、息子はふん!とそっぽを向く。そこで姉である娘が、「今1が出たけど、次に振ったとき6が出るかも知れないよ。双六は止まった升で進んだり戻ったりするし、最後まで分からないんだよ」と説得した。
こういう場面では、母親や保育士が説得するより、兄弟や仲間が話した方が効果がある。しばらくすると息子はぶっきらぼうに「いいよ!」と言ってソファから下り、双六を再開した。始めるとケロッとして笑いながら双六を楽しむ息子。しかも運良く最初にゴールしてご満悦だ。
気分がいいまま息子がトランプを取り出して「今度はババ抜きをしない?」とカードを配り始めた。ババ抜きにしろ七並べにしろ、息子は自分が負けたら勝つまで何度でもやろうと言い張り、ルールさえ変える──ババを持っていたら勝ちという具合に。
身内でやっているからこういう態度をとるのではない。以前何度か、息子と同い年の子供数名と(我々家族ではない)大人が1人交じってババ抜きをした時も、同じように息子は負けそうになると手持ちのカードを投げてしまい、それを大人にたしなめられると大声で怒って相手を睨み返したりしたらしい。彼のこのこだわりは一体どこからくるのだろう?仲間と遊びたいのなら、何故「あ~あ 負けちゃった」と笑ってやり過ごすことができないのだろう?
こだわりに関しては、ゲームだけではない。並び順も一番前にこだわる。他の園児にどんなに責められようが、頑として譲らない。あの頑固さは一体どこからくるのだろう?
就学時健診を前に、ここにきて息子の問題行動に正直参っている。
タイトルは『目からうろこ』の英訳。因みに、語源は聖書。(参照)
──というわけで、本日クリップしたのがこちらのエントリー。
■わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 良い育児書、悪い育児書
紹介している本を買わずとも、こちらを読むだけで、スッと自分の中に入ってくるフレーズがたくさん。
先ず、本日ご丁寧にコメントを頂いた(参照)えこまさんへの私信に代えて、今日の夕方に更新されたエントリーを拝読した感想を率直に述べたい。
□えこまの部屋 : 二園児殺害事件をきかっけに是非が問われている「グループ通園」について思うこと
えこまさんはご自分の体験から、「グループ送迎を「怠慢」と括られることには反発心が湧く」とありますが、何故多数の"お母さんブロガー"から「怠慢」とみなされるかというと、輪番制にしているからでしょう。我が子の幼稚園時代の2年間、ないしは3年間を、親子通園の母親・父親の大多数は、自転車の前後に我が子を乗せて送迎したり、自転車通園禁止の園ならば乳飲み子を抱え、我が子の手を引いて何十分も徒歩、双子・三つ子のベビーカーは重く押すのも辛い、それを雨の日も炎天下の日も雪の日も日課として続けているという事実があるから、この幼稚園の「グループ送迎」しかも自家用車というのに対して驚きを隠せないのだ。
同じ「グループ送迎」でも、親子全員がご近所固まってという形なら納得する。(この場合も、安定期以外の妊婦や事情のある家庭の親の送迎を免除してあげるという助け合いはもちろん必要) 毎日のことを1日置きとか週に2回くらいで済むのなら、輪番制がいいと思う親もいるだろうし。(参照:最後の行)
えこまさんが体験された、「田んぼの畦道ではおたまじゃくしやカエルをつかんだり、たんぽぽの綿を飛ばしたり、炎天下の夏は木陰で水筒を出してお茶を飲んで一時休憩も入れながら、秋には子どもたちとどんぐり拾いをしながら帰った。」の行は、共感します。現在私の息子が通う園の保育が正にこれです。都心にいても、河原で蓬を摘んで持ち帰り天ぷらにしたり蓬団子を作ったり、小川でスルメを使ってザリガニ獲りをしたり、たくさんの自然体験が、それも(保育参加自由なので)親子で毎日のようにできるという恵まれた環境にいます。
えこまさんは3人のお子様を育てていらっしゃる故、辛さや悩みも多かったと推測しますが、逆にその体験があるからこそご自分の子育てに対する自負心と充足感があるのではないのでしょうか?こればっかりは、一人っ子の母親には伝わらない部分だと私は思います。(因みに、私自身は2人の子供の母親です)
──というわけで、「グループ登園」の話に偏っているが、事件の本質はもっと別なところだと当然思っているわけで…
□中華的生活「多少銭?」: 子供を殺すな!
コメント欄も衝撃的だ。本日クリップした事件関連のエントリー。
追記:2006-02-23
今朝「朝ズバッ!」を見て驚いた。殺害された女の子の遺族がグループ内の容疑者の様子に不安があり、以前より「個別登園」にしたい旨園側に要望していたのに、「園の規則だから」の一言で受け入れてもらえなかったと訴えていたのだ。園長は19日と20日に営まれた2人の合同通夜と告別式で、遺族から焼香を断られたらしい。(参照:後でリンク切れの可能性)他にも関連記事をクリップ↓
■Yahoo!ニュース - 京都新聞 - 『幼稚園変わりたい』 容疑者?市教委に昨年相談 長浜園児殺害
長浜市で起きた2園児刺殺事件について、容疑者・周囲の母親達・幼稚園関係者などに対して言いたいことも諸々あるが、ここではとりあえず置いておいて、もっと単純に私が「あれ?」と思ったことを述べたい。
■asahi.com:長浜・2園児刺殺 「誰を信じたら・・・」 - マイタウン滋賀(注:リンク切れの可能性あり)
この記事を読むと、この幼稚園では保護者が輪番で担当する「グループ登園」という方法をとっていたらしいが、こどもを幼稚園に通わせている母親というのは私立・市立に関係なく基本的に専業主婦ではないのか?幼児の間は、母親/父親と登園・降園時に会話したりするのも大切な時間ではないか。幼稚園は(通園バスがない限り)「親子登園」という概念しかない私には、忙しい朝の時間によそ様のお子さんを何人も預かって送り届ける、それも当番制というのは正直ピンときません。母親同士がっちり信頼関係が結べていて、他のこどもも我が子と同様に看ることができる集団なら「グループ登園」でも問題ないだろうが、ずっと「親子登園」を望んでそうやってきた容疑者(参考)には、酷な事だろう。
幼稚園に関わった母親にしか解らない世界かも知れないが、一緒に登園したりランチしたり公園で遊んだりしている母親同士でも、微妙な力学が働いている。そうした"見えないカースト制度"がある母親同士でも、私のように割り切って付き合える人間なら我が子の幼稚園時代の3年若しくは2年間をやり過ごせるが、中には馴染めずに身体を壊すほど悩む母親も実際いる。そんな母親は「親は親。子は子」ときっちり割り切れる思考を持ち合わせるべくもなく、「親が憎けりゃ子まで憎い」となってしまうだろう。なんだか音羽事件と一緒だなー。
容疑者は働き者で、4カ国語が話せ、日本語は少しなまる程度で日常生活には支障はなかったというから、余程の勤勉で努力家だと推測する。(参照)
最後、容疑者を擁護するような書き方になってしまったが、とにかく「グループ登園」のきっかけが、母親達の毎日の我が子の送迎が面倒だからという意見(表向きは違うだろうが)だったとしたら、あまりにも代償が大きすぎた。
追記:2006-02-22
関連記事を読み回っていて見つけた興味深い記事をクリップしておく。特に「300万~500万円で斡旋させる「中国の花嫁」の悲劇」はなんとも読んでいて溜息…
■滋賀県・長浜で起きた「猟奇的」園児惨殺事件について(報道・メディア論) / ヒロさん日記
再追記:同上
本日えこまさんにコメントレスした後で見つけたのでクリップ
■http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20060219/mng_____sya_____012.shtml (後にリンク切れの可能性あり)
最後の部分に注目。(以下抜粋)
グループ登園の休止について、園側は保護者が個別に徒歩で送迎するよう要請した。ある母親は「グループ登園は、子どもや親のコミュニケーションが図れ、親の負担が軽くなるのに」と残念がった。一方で「安全でいい」と理解を示す声もあった。
年末年始から今日現在にかけて、はてブで「少子化」タグのエントリーを読み漁っているのだが(参照)、現在息子が通っている無認可幼稚園に関しては「少子化」なんて言葉が存在しないというくらい、どの家庭も子沢山(今の世の中、3人兄弟がデフォルトな家庭なんて十分子沢山と呼んでいいだろう)で、子どもを3人、4人、5人と産んではこの幼稚園に我が子を全員入園させているという、そんなスーパーなママ・パパたちと日頃交わっているので、正直自分は多少というか、かなり問題意識が薄いと思う。
何故「スーパーなママ・パパ」と私が呼ぶかというと、それは、母親は皆専業主婦・40歳過ぎで3人目、4人目を産んでいるという点と、父親は当然ながら自分の稼ぎだけでそれだけの人数を養っている・しかも休日でも子どもたちと登山など過酷な園行事にも参加する―という組み合わせだからだ。
因みに、昔でいうところの『貧乏人の子沢山』という図式は全く当てはまらない。保育料が、区立幼稚園の10倍/私立幼稚園の相場の2倍だからだ。しかも、いまどき流行りの園バス・給食・延長保育は一切なし。それでも、皆遠くから電車やバスを乗り継いで通ってきている。
我が家の場合、その無認可幼稚園に息子の入園を決めたそもそもの理由は、上の娘が通っていた近所の私立幼稚園の試験に落ちたからなのだが、入園・入学シーズンが過ぎてG.W近くになっても入園先が決まらず悩み続けていた私に、保育者たちが優しく手を差し伸べて下さった形で入園を決めた経緯があった。
そんな訳で、入園してからしばらくして、(上の娘の幼稚園とは違い)妙に兄弟が多いなー、皆子沢山だなーということに気付いた私は、同年代のある母親にその話をしたら、返ってきた彼女の言葉に衝撃を受けてしまった。
子沢山な家がここの幼稚園を選ぶんじゃないよ。
ここの幼稚園にきたから子育てが楽しくなって、子沢山になるんだよ。
入園してから1年8ヶ月、今春年長組になる息子。あと1年で卒園してしまうと思うと寂しくて寂しくて、発話がない為あれだけ心配して息子の育児に悩み通しだったくせに3人目が欲しいと思ってしまう自分も、かなり園のカラーに染まってしまったという実感がある。
けれど、どうして園の生活が親子共々楽しいのか、私が子育てに前向きになれたのか、それを機会あるごとに身内や知り合いに説明しようとしても相手には話半分で、前述した保育料などを引き合いに出され、「育児を道楽にできる高給取りの家族の集まり」と勝手にカテゴライズされてしまい中身の話に至らないのが現実だ。
子育ての話をしようとしても、結局行き着くところ「カネの話」になってしまう。下世話な話は自分のブログではあえてしたくなかったのだが、仕方がない。そういう意味で、「少子化」についてなにか発言したいとは思うのだが、どうにも歯切れが悪くなってしまう自分。まとまってない…あとでまとめる。…かも
以前紹介したことがある(参照)、しうさんのまたファミレスネタ。
■形而上学奇蹟blog. ファミレス人間模様 ―世界はラブでコメなのさ―
最後の女の子のセリフが、まるで自分。
小学生ながら、きっとこの女の子には弟がいる/普段から男の子にもてる/男あしらいを心得ていると、勝手に想像。だから、泣き出す男の子の気持ちがよくわかる。男ってすぐ泣くものね。
女の子「やっぱり、お金足りなかったの? お財布チラチラ見てたじゃん」
男の子「うう…オゴってあげたかったんだよう…」
女の子「ありがと。わたしもお金出すから心配しないで」
因みに、我が家にも小学生の娘が1人いるが、家族は、そうそう簡単に娘がデートを承諾しないように、ホテル西洋銀座だの帝国ホテルだの千疋屋フルーツパーラーだのに連れて行っては舌を肥えさせている…ってか、ガキに1800円のパフェ食わすな!
息子は現在5歳。幼稚園では年中組だ。
昨年、年少組に途中入園してからしばらくして、こんなことがあった。
その日はプール保育で幼稚園はサマータイム中だった為、昼に親子でお弁当を食べた後現地解散となり、私と息子は他の数組の親子と共にそのまま公園に残った。当時の息子は友達と一緒に遊ぶという気持ちが希薄で、1人でブランコに乗ったり足こぎカートで走ったりしていた。
私がベンチに座って息子を眺めていると、年中組の男の子が話しかけてきた。「※※のお母さん、あそこ見て。○○は何をしているのかなー」言われた方向を見ると、砂場の鉄製の囲いの上に立って腕を頭上に伸ばしている同じく年中組の○○ちゃんがいた。男の子と2人で近づいてみると、なんと砂場の上にぶどう棚ができていたのだ。「わあ!僕もとる」と言って男の子も囲いの支柱に立ち、まだ真緑ながら所々紫色になったぶどうの粒を採ろうと必死に背伸びを始めた。
「危ないよー」という私の声に気付いて、男の子と○○ちゃんそれぞれの母親 — そばでまだよちよち歩きの下の子と遊んでいた— が、駆け寄ってきて「あら、ぶどうがなってる」と言うが早いか、2人同時にひょいと囲いに立ち、「ほら」といってそれぞれ採ったぶどうの粒を子どもに手渡した。2人の子どもは囲いから降りて、砂場で「緑色のは固い。紫のはー(口に入れて)甘い。でも酸っぱい」などと言いながらお互い笑っている。
2人の子どもとその母親たち — どちらも私より5歳位年上 — がぶどうの粒を口にしている間、私は実はかなりのショックを受けていた。
危ないと言うだけで子どもにすぐ採ってあげなかった自分。公園にあるとはいえぶどうの粒を(それも1、2粒)採るのに躊躇した自分。庭先や公園にはえている木から自然の実をつまむ行為を野蛮だと感じ、そういう行為をする子どもを否定していた自分 —
いったい私は今まで何をしていたんだ。(上の)娘の幼稚園時代、私は「止めなさい」ばかり言っていた。私は娘の好奇心の芽を摘んでばかりいた。指示ばかりしてちっとも気持ちを共有してなかった。
公園の帰り道、私は息子を乗せた自転車を押して歩きながら、娘の幼稚園時代には出会えなかったお母さんたちに、息子の入園によって出会えたことを心から感謝していた。
参考:加藤諦三ホームページ - 人を育てる
第2回 「母なるもの」を持たない母親は、言葉のなかに含まれている五感を子供に教えていない(1)
久し振りに子育てネタ=「ジャンバラヤ」的ネタを書いてみようか。
当ブログのこのカテゴリー:「ジャンバラヤ」的ネタは、実は私が最も書きたいと思いつつ最も書き辛いというアンビバレントなジャンルだ。母親が、それも私のような専業主婦が子育てネタを書くことは、いわば諸刃の剣になる。
「あなたの苦労話なんて苦労でもなんでもない。」「働いてないんだから。子育て専門に生活しているんだから。それぐらい当然でしょう。」「自分が子育てを道楽と捉えられる経済力に恵まれているということを言いたいんでしょ。」
これらのセリフは私が直接/間接的に同年代の母親たちー当サイトの読者/非読者から言われた言葉だ。この年になると、昔のように相手の一言一言にさほどへこんだりショックを受けたりもしなくなる。そういったセリフの殆どが、女特有の羨みや嫉みから発せられていると分かっているからだ。
しかしながら、私が子育てについて言及するということは、それを読んだ母親達の我が子への監視が強まるということに繋がる。(例:「じゃあ自分の子どもはどうなのよ。」「実を見れば木がわかる」)冒頭に"アンビバレントなジャンル"としたのは、こういう訳だ。
さて、まえがきが長くなってしまったが、私が久し振りに子育てネタを書く気になった理由は、はてなブックマークに私が以前紹介した加藤諦三先生のホームページがあったからだ。
多数の方にブックマークされているのを目にし、なんだかとても嬉しい気持ちになった。
そしてもう1つ、拝見して心がほんわかとなったエントリーがある。
■明日は明日の風が吹く - 人を育てる(from なおみん)
この中で筆者である☆YAS!☆さんは、「加藤諦三-人を育てる:第39回子供が蝉をとってきた。汚い手である。」を読んだ感想を述べていらっしゃるが、実はつい先日、私は息子と虫とりを体験した。
息子の通う園の行事に、大学が夏休み中の実習生たちや他の母親たちと参加したのだ。場所は二子玉川の河原。4月に蓬摘みをした場所と同じである。
私は元々アウトドアタイプではなく、子どもの頃は「本が友達」という大人しくて人見知りの激しい子どもだった。潔癖症で汗で洋服が汚れるのも嫌いなほどだった。虫とりあみを持って蝶々やトンボを追いかけるなど1度も経験したことがない人間だった。
ところが、現在は完全に息子の園に染まってしまった。息子に頼まれれば藪に分け入って、ショウリョウバッタやトノサマバッタも手掴みで捕ってあげられる。他の園児に頼まれると尚更、蝶々やトンボを捕るぞと虫とりあみをもって原っぱを走り回る。
何故ここまで私が変われたか。それは、息子と同じ体験をして、息子と気持ちを共有したいからだ。
虫とり楽しかったね。
ママも楽しかった?
ぼく、たくさんとったね。
○○ちゃんのママからもらったソーセージおいしかったね。
電車早くついたね。
同年齢の幼児に比べれば、まだまだ語彙も足りない発話もはっきりしない息子だが、気持ちは十分伝わってくる。そして息子は、その日の午後に小学校から帰宅した姉に虫かごの中身を自慢し、夜帰宅した父親にも見せながらおしゃべりした後、満足して虫かごから虫たちを庭に放してあげた。

二子玉川の河原。息子が虫かごの虫を放してあげたのは、保育者が帰りに「お家の人に見せたら近くの公園に放してあげるんだよ」と園児達に約束させたからだ。
追記:2006-03-01
当ブログカテゴリー「ジャンバラヤ的ネタ」はストレートに「こども・親・子育て」と変更しました。
きょう、わたしはお母さんのしらがをぬいてあげました。
お母さんがあたまのかゆいところをさわって、そこをわたしがちゅういして見ると、
白くてすきとおったかみの毛がはえていたので、ゆびでつまんでとりました。
お母さんは「コトのおかげで、かゆいのがなおってたすかった」と、よろこびました。
□過去ログ:わたしのしゃしんにっき
NHK「おかあさんといっしょ」に12年間出演した、体操の弘道お兄さん。
彼の誠実で真っ当な意見に、大いに頷いた。
□MSN-Mainichi 特集WORLD:体操のお兄さん 3歳児の定点観測
「小さいうちから英語などを習わせて必死になる一方で、子供を公園で遊ばせながら携帯電話でメールばかりしている。いらないところで過干渉。でも親子の触れ合いは減っている」
人が愛されていると感じるというのはどういうことであろうか。それはこんなことを話題にしてはいけないとか、こんな事を言ったら品が悪いと思われて嫌われるのではないかとか、こんな事をしたら軽蔑されるのではないかとか、そうした不安がないと言うことである。
□加藤諦三ホームページ - 人を育てる:愛されていると感じる時より引用
数日前にたまたまサイトを知り、以来毎日繰り返し読んでいるのが『人を育てる』のページ。特に数回に亘って書かれた"「良い子」の真実"には、読んでいてドキンとなった。
ここ1、2年の間に、公園で見かける親子の様子が、かなり変化してきていると感じる。
ウチの近所だけだろうか?
公園の砂場で未就園児が遊んでいるのだが、母親は一緒に遊ばない。
ただ子どもを遊ばせに来ているだけで、自分はベンチに腰掛けてずうっと携帯電話でメールしている。それが1人だけではない。数人の母親が言葉も交わさずに、目の前の砂場で子どもを遊ばせつつ、自分たちはメールに集中している。
異様な光景だ。
見ていると、そういう母親は、子どもがブランコに乗りたがるのを嫌う。
子どもの背中を押しながらでは、メールができないからだろう。
これって、ネグレクト予備軍では?と私などは考えてしまうのだが、、、。
たまたまブログの巡回中に読んだページ。ここにも、子どもより携帯の方が大事な母親がいた。
しうさん(風見周氏)と同様、私も読んで泣きそうになった。
今日読んだ『あそびの会だより・3月』で、感動した言葉。そして、普段の育児で反省させられた言葉。以下抜粋ー
長野大会を応援にきているクリントン前米大統領が知的障害者との接し方を考える会に飛び入り参加し「障害者を自分と違うと思うのは、彼らと話したり、抱き合ったりしたことがないからだ」と説明したそうです。
本当にそうだと思います。一国の指導者だった人がこういう感覚を持っている国は、きっとそのうち戦うことをやめることでしょう。
子育ての中で、親はどうしても自分の子どもと他の子どもを比較しがちです。そして、その差を「がんばらないから」とか「努力が足りない」と言いがちです。もちろん努力やがんばりは大切ですが、発達年齢や発達速度が、ひとりひとり違うのですから無理しても仕方ありません。子育てはゆっくりとじっくりとが大切です。
そして、子どもに指示を出したりするだけではなく、子どもによりそって、いっしょに同じことをやってみるといいと思います。
能天気なタイトルに、日頃目を吊り上げて育児をしている母親ブロガーたちから総すかんを食いそうだが、敢えて言いたい。
#息子のお陰で毎日が楽しいでーす!
#親ばか最高!
1年前の今頃、身内から
みんな孫自慢しているのに、ウチはご近所に連れて歩けない。
知恵遅れじゃないの?
あなたの躾がなっていない。
育て方が間違っているのでは?
専業主婦なのに一体何をやっているのだ。
などと毎日のように家に電話がかかってきた。
そればかりか、昼間息子と公園にいる時でも携帯電話にまでかかってきた。
今「みのもんた」で丁度やってるから見なさい。
心配しているからこうして電話しているのよ。
その度に、相手に言いたい事は山ほどあった。
言いたい言葉が頭の中で渦巻き、感情がぐちゃぐちゃに絡まり合い、胸が張り裂けそうになったこともあったが、私は相手の話にただ黙って「うん、うん。」と頷いていた。そして『息子のこと』は何も話すまいと心に誓った。身内に話して理解してもらう労力と根気と時間を、私は全て息子の為に使いたいと考えたからだ。
あれからー
私にそんな話をしていたこともきっと忘れてしまっているだろう、その相手は、今では電話口で息子と話すのを楽しみにしている。
そして私の方も、嘗てそんなことがあったことさえ忘れてしまいそうなほど、今は育児が楽しいのさっ♪
小1の娘とテレビを見ていたら、たまたまCMにヨン様が登場。
以下私たち2人の会話ー
私:またヨン様だ。
娘:これがヨン様なの?
私:うん。すごい人気者みたい。
娘:・・・・・・
どこがいいの?全然カッコよくない。
私の弟の方が、よっぽどいい男だ!
私:そうだよね!そうだよね!!
ここで何気なく、そばにいた彼女の弟であり、私の息子である彼を見たら、
鼻の穴に入れた人差し指をせっせと口に運んでいる最中でした。。。
今日の午前中、息子が通う幼稚園のクリスマス会が、世田谷公園近くの児童館ホールで催された。
このクリスマス会は、所謂園児の"お遊戯会"と、父母や保育者の"かくし芸大会"が一緒になったものだ。
園児の出し物は2歳児・年少・年中・年長組と分けて、それぞれ劇を披露。
現在4歳6ヶ月の息子は、年少組で「てぶくろ」というウクライナ民話の劇をやった。
息子の役は、5番目に登場するはいいろおおかみだ。
それも、保育者が、他の登場動物のくいしんぼねずみ、ぴょんぴょんがえる、はやあしうさぎなど、名前を全て息子に言わせて、一番スムーズに言える役に決めて下さったのだ。
これまで息子の話は2回ほどエントリーしたがー「今朝の息子の朝食」と「褒める療育」、実は、今年の4月末に入園した辺りは、話せる言葉が「やだ。何?はい。あんがと。しゅーしゅー(名前のこと)」程度だったのだ。そして、激しく癇癪を起こしたり、家の鍵を開けて勝手にどこかへ行ってしまう危険で困り者な幼児だったのだ。
その当時の私には、息子に今日という日が来ることなど、とても想像できなかった。
入園してから息子は大きく成長した。先ず、発話が増え、極端な偏食(白モノ=米飯、うどん、食パン、生クリームーしか食べなかった)がなくなり、我慢して待つという事を学び、相手の問いかけに頓珍漢な受け答えをすることも減り、同い年の友達も意識して一緒に遊ぶようになった。
#がおーがおー
#ぼく、はいいろおおかみ。あったかそうなおうちだな。
#だれだ、てぶくろに住んでいるのは?ぼくも入れて。
一字一句間違えずに笑顔でセリフを言い、最後に全員横一列に並んで配役と自分の名前を言う場面では、上ってしまった隣の女の子に、優しく肩をたたいて促すようなジェントルマン振りを発揮した。
舞台の息子を見ている間、前述した「こんな・あんな・そんな」が次々と思い出されて、私はただただ涙と鼻水を流し、幕が閉まった時には、自分のフェイラーのタオルハンカチがびしょびしょに濡れてしまっていた。

はいいろおおかみのお面
追記:私がやった「お母さんの出し物」は、雨降りで"静電気"には最悪な状況ではあったのだが、でんじろう先生直伝の
#おもしろ科学実験ショー
↑どんなのかは想像してみてね:-)
先日、息子の通う幼稚園に、吉原佐紀子さんがチラッといらっしゃいました。:-)
その時は、現在ご自分が編集を担当していらっしゃる「自分が我が子になって我が子の言葉で綴った母親の日記」(仮題)の取材目的だったのですが、実は私、その日お会いするまでどんな方が全く知りませんでした。(汗
吉原さんから「お母さん方どうぞ。」と手渡された1冊の本ー「乳児保育と赤ちゃん学」(発行者:汐見稔幸「赤ちゃん保育研究会」代表)を、帰宅後ぱらぱらと眺めながら、初めてお会いした吉原さんの、その時の出で立ちを私は思い浮かべました。
黒いパンツスーツに、インナーも黒のUネックのTシャツ、アクセントに真っ赤なネックストラップ、その先の携帯電話はINFOBAR NISHIKIGOI (!)
そして、私は何よりも足元に注目していたのです。バリバリのキャリアウーマンの服装なのに、ブーツではなく、華奢な黒のパンプスをストッキング無しで履いていらしたからです。しかも、指の付け根が少し見える流行のデザイン。
50代半ばで(失礼!)この女心を忘れないファッションセンスに、私はただただ唸ってしまいました。。。んん~~
その後で、ネットで検索してみたら、上記タイトルにある言葉を掲載したページが、最初にヒットしました。
20年近く前、当時5歳だった息子さんが吉原さんに言った言葉。この一言を目にした時、何故か私は涙が零れてきてしまいました。
関連サイト:
□KURASHI Web【アットホーム】
前回のエントリー(参照)では、科学技術館で私が見た米村傳治郎先生の「楽しい科学」の実験のほんの触りを紹介したが、今回はそのたった30分間に私が受けた先生の印象について述べたい。
先ずその前に── 先生は、(私が知らなかっただけで)本当は、都立高校教諭を退職後に独立。1998年に「米村でんじろうサイエンスプロダクション」を設立し、現在サイエンスプロデューサーとして、科学実験等の企画・開発、各地での実験教室・研修会・講演会などの企画・監修・出演、各種テレビ番組・雑誌の企画・監修・出演など、様々な分野、媒体で幅広く活躍中なすごい方なのだ。(※)
さて、「楽しい科学」の実験が始まると先生は先ず、風船ポンプでシャコシャコッとゴム風船を膨らませながら、「今日は何を見たいかな?」と笑顔で訊いて下さった。
すかさずその私を誘ってくれた友達ママが、クリスマス会で子供達にやって見せたいので、子供達が喜びそうなものを教えてほしい旨を伝えた。
それを受けて先生は、静電気を溜めるコツなどを、淡々と作業をしながら淡々と説明していった。
何回も強調されていたことは、使う道具に手の脂などが付着するのは厳禁。相当練習しないと成功しない。やってみて失敗した時は、その原因をきちんと突き止めて改善しない限り、何度やっても無理だ。原理を把握していなければ、何度やっても無駄だ。──ということだった。
数パターン、ゴム風船を使った実験を見せて頂いた後、私が「おっ!」と感動した実験があった。
ビニール紐を細く裂いた束をテーブルにぴたっと付着するまで、ウールのマフラーで何度も何度も擦った後、静電気を帯びたそのビニール紐を掴んでパッと空中に放ち、マイナス電気のゴム風船を近付けると(反発しあい)、ケセランパサランのように空中を漂ったのだ。

一瞬「これは(クリスマス会に)使えるっ!」とふんで、友達ママと目配せしたその次の瞬間、先生は
# 想像している分より10倍は、静電気を扱うことは難しいです。
と無表情に仰り、すっかり見透かされてしまっていたのさ。(汗、汗、汗
先生はテレビのバラエティー番組などにも出演していらっしゃるのに、一言で言えば"芸能ズレ"した雰囲気が全くなく、本当に"科学の料理人"という言葉がぴったりの、静電気の遊びびとという印象をもった。
最後に、私が読んだ本(実験見学後に1階にある売店で購入した)の中にあった先生のお言葉を紹介したい。(※)
「机上で考えるよりも、からだを使ったり、いろいろな人とのコミュニケーションの中からよいアイディアが生まれてくる」
「科学は遊びです。教科書には載っていないことを自分で考えて、モノを作ったり、いたずらをすることはすごく大事。昔は子どもならだれでもやっていたことで、失敗を重ねることで自分なりの工夫が生まれたり、無駄と思えるいろいろな体験ができたものです。それがあるとき飛躍する力となり、科学を生む源である創造力となるのです」
「このままほうっておいたら、創造力は貧弱になるばかり。積極的に大人が創造力を養う場を与えるべきなんです」
(※)米村傳治郎 監修、大沢幸子 著「おもしろ科学館」より
友達ママに誘われて午前中に、北の丸公園内にある科学技術館へ行って来た。
お目当ては建物5階の一角にある実験工房「ワークス」で行われる、米村傳治郎先生の「楽しい科学」だ。
実は今日まで、私は一切米村傳治郎先生が出演されているというテレビ番組を見たことがなく、1週間前に彼の大ファンである友達ママに誘われてから、慌ててインターネットで先生が代表を務める「米村でんじろうサイエンスプロダクション」のHPを調べて、初めて知った次第。(汗
前々回のエントリにもあるように、私は子供の頃から文系タイプで、『学研の科学と学習』では小学1年生からずっと『学習』しかとっていなかったような人間で、正直科学の実験などあまり興味がなかったのだが、先週その友達ママの自宅にお呼ばれした際、彼女が作った「空気砲」や「風船ロケット」に触れて、すっかり魅せられてしまった。
私達は先生の実験を"かぶりつき"で見るため、開始時刻の15分前には椅子に座って待っていたのだが、平日の午前中ということもあり私達の他には誰もギャラリーがいなかった。
丁度時間となってでんじろう先生がお出でになり、鐘をカランカランと鳴らしながら「『楽しい科学』の実験が始まるよ~」と先生がおっしゃったのに、出入り口近くにある巨大なシャボン玉装置に群がっていた小学生たちは誰も来ないし…
(「笑っていいとも」金曜日レギュラーのでんじろう先生の実験だぞー)
先生は私たちのリクエストに気さくに応えて下さり、ゴム風船を使った静電気遊びを披露した。
静電気遊びを成功させるには、常に湿度を気にしなくてはならない。
その時の湿度は、41%だった。(先生の後ろに湿度計があるのだ)
先生は膨らましたゴム風船を擦って静電気を帯びさせるのに、グレーの(多分)カシミア入りウールマフラーを使用していた。マイナスとプラス、、、と私も頭で考えながら、反発しあって面白い動きをする2本のゴム風船を見たり、プラバルーンを使った一見"ハンドパワー"のような実験などに参加した。
圧巻だったのは、ギャラリー全員で手をつないで輪になり(その頃にはギャラリーが5人程増えていた)、コンデンサ=電気を溜め込む電気コップを端の2人が触って全員で感電するという実験だ。こんな感じ
もう、ビリッ☆というのではなくて、その瞬間
ドン!!
という衝撃が全員の肘に伝わったのだ。しばらくその衝撃の強さに、呆然としてしまった私…
楽しくて愉快なのと驚いたのとで、あっという間の30分間だった。 つづく

超至近距離から先生を撮影。
■米村でんじろうサイエンスプロダクション
■科学技術館ホームページ
きんようびにおとうとがおいもを3ぼんほって、もってきました。
おかあさんがあまくなるようにと、ベランダにほしました。
きょう、ついにたべることにしました。
わたしがきれいにあらってどろをとりました。
それから、きねんにおかあさんが、おいものしゃしんをとりました。
![]()
まるで おとうさん、わたし、おとうと、みたいだとおもいました。
おかあさん?
だって、おかあさんはおいもではありませんから。
ミッキーマウスと一緒のお写真が印象的な和パパさんのブログ、10月24日付のエントリまんまる笑顔の和パパさん: お父さんの涙 を読んでー正しくは、そこで紹介されている記事を読んでたまらなくなったのでトラックバックします。
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TBS報道局社会部・牧嶋博子氏が取材した記事なのだが、以下抜粋
障害児を抱える夫婦に離婚が多いということを、みなさんご存じですか?母子家庭で、障害のある子を育てている家がけっこうあるのです。
母親の多くは、子供の障害の告知を受けた場合、3日3晩泣き続けても、やがて障害を受容します。しかし、父親の中には、それができない人が母親より、若干多くいるようです。大変な母親を手伝うこともせず、「子供がこんなのは、お前が悪いんだ」などと言おうものなら、夫婦関係は、徐々に壊れていくことでしょう。
でも、お父さんが、子供の障害を受け入れ「この子と妻を一生守っていこう」と決心できたとき、その家庭は、障害のある子を中心に、結束します。私が取材したご家庭もそんな家庭でした。
私がこの記事を読んで、思い出したことがある。
息子の話は以前にもしたが、現在月に1度STによる指導を受ける為、さくらぽーとに通っている。
そこで1時間ほど、息子にしてみれば、優しいお兄さんとカードや積み木やビーズなどを使ったゲームとやりとりを楽しむのだが、それが終わると彼の一番のお楽しみが、同施設内にある喫茶店でクリームソーダを飲むことだ。
その日も言語指導が終わると息子は喫茶店に直行し、クリームソーダを注文して、二人で束の間のティータイムを楽しんだ。その時は閉店まであと20分という時だったので、店内にいた客は私たち親子と離れたテーブルに3歳くらいの息子さんを連れたご夫婦だけだった。
その男の子はピラフを食べていたのだが、スプーンをがしゃん☆と皿によく落としていた。食べてる時も口元からぼろぼろとご飯粒を零していたし、時々言葉にならない声を大声で発していた。見るからに落ち着きのない子だ。
しかし私はこういう光景は見慣れているし、ついこの前まで息子もそうだった。
こうして二人でゆっくり喫茶店にいられるなんて、当時はとても考えられない状態だった。
すると、父親の方がいらいらした口調で、
# いいかげんにしろ!何回スプーンを落としたら気が済むんだ?ちゃんとしろ!
# だいたいお前が普段からちゃんとしつけてないから。。。
と、やりだした。
母親は何も言葉を返さず、目の前の夫に目を合わせないように(そう見えた)、男の子にスプーンを渡して握らせ、ひたすら前髪を分け目が揃うように撫でてあげていた。
(ここの施設に来る人間は"決まった人間"なのに、何でそういうことをここで言うのだ?この喫茶店で働いている人たちだって知的障害者の作業療法の一環としてがんばっているのに!)
と、その父親に対して怒りの気持ちが一瞬湧いたが、すぐに思い直した。
きっと医者から告知を受けたばかりで、ショックでどうにも自分の気持ちのやり場がないんだろうな。。。
ぶつぶつと文句を言いながら店を出て行った父親の後ろを、母親と手をつないで笑顔で店を後にした男の子を見ながら、「お父さん、早く息子さんの笑顔の意味に気付いてあげてね。」と私は心の中でつぶやいた。
![]()
小1の娘をスイミング教室に送って行った帰り道、幼稚園で一緒のクラスだった男の子とその母親に会った。
同じスイミング教室に通っているのだが、曜日や時間帯が違うと滅多には会わない。
それぞれ子供が別々の小学校に通学しているので、お互いの近況話に花が咲いた。
そのうち、彼女が
実は先週プールのロッカーで息子がゲームボーイのソフトを盗まれちゃって。もしかしたらと思って事務室に問い合わせたんだけど、忘れ物は届いていないって。きっと息子が泳いでいる間に次の時間に泳ぐ子が盗ったのよ。
という話をし始めた。
その話が始まる少し前に、その男の子がすぐそばの滑り台で遊び始めたので、私は彼女からもっと話を聞いた。
「盗まれたのって確かなの?」
だって本体に差し込んであるゲームソフトだけなくなっていたのよ。簡単に滑り落ちたりするものじゃないし。息子の次のクラスは高学年の小学生たちだから、きっと知っていてロッカーから盗んだのよ!買えば高いものよ。
私は話を聞きながら、(スイミングに関係のない、そんな高価なものを持ってきた方が悪いんじゃない)と思いつつも、敢えて自分の意見を言わずに、「そのことについてご主人は何と仰ってるの?」と水を向けた。
きっと父親なら、「関係のない高価なゲームをわざわざ持って行って盗まれたのは、自業自得だ。人生の勉強料を払ったと思って諦めなさい。今度からは絶対持って行ってはいけないよ。」等と息子に話してあげたのではないかと期待したからだ。
ところが違った。
もうそれ聞いて主人もかんかんよ!どんな小学生なんだ?!って。小学生でもう他人の物を盗むなんてって驚いてたわ。だから私、男子のロッカー室に行ってそのゲームソフトを見かけなかったか直接訊きに行ったのよ。そうしたらそこにいた高学年の子が私の話を聞き終わらないうちに「ぼく盗んでない」って口々に言い始めて。。。ホント腹が立つ!
私は力が抜けて、ただ「ふぅ~ん。。。」と言って、その男の子の顔を見た。
その子の顔は幼稚園時代と同じように、屈託なく明るくてそれでいて知的な面も持ち合わせていた。要するにモテ顔だ。
声をかけると今でもニコッと笑顔を向けてくれる男の子だ。
案外と子供の方が解かっているんじゃないか?と私は感じた。
現役で子供の教育に関わっていらっしゃる方のブログを拝見するのは、大変興味深い。
どうしたら自分が担当している教科を子供達が理解し、尚且つ興味をもって自ら学ぼうとしてくれるか、日々奮闘していらっしゃる先生の姿勢や考え方を知ることは、子育てをしている私にも大いに役立つ。
その中でも、瀬戸智子先生のブログ イマドキ(ドキ)の子どもたちは、教育者としての鋭い視点の中にも優しさが満ち溢れているエッセイばかりで、読んでいて本当にためになる。"今どきの子供"を知るということは、イコール"今どきの母親"を知るということだ。
実は今日、私が残したコメントにあった先生からのお返事を読んだら、もう居ても立ってもいられなくなり、今回はイマドキ(ドキ)の子どもたち: 褒め下手は褒められ下手にトラバさせて頂くことにした。:-)
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いきなりで恐縮だが、実は私は普段息子のことを、「超」がつくくらいの"親バカ加減"で褒めている。
もちろん同年齢の子供を持つ親の手前は控えるが。
洗面台で歯を磨く時、息子が自分の歯ブラシを握り片手でねり歯磨きをつけられた時、すかさず
#すばらしい
磨き始めて口を「あー」
#上手
口を「いー」
#そう。よくわかっている。
私の方は特に言い方に抑揚をつけたり、大袈裟に驚いて見せたりはしない。
こんな調子で、息子が口をゆすいでコップをひっくり返して定位置に置くまでのたかだか1、2分間に6回位褒める。これを毎日繰り返すことによって、息子の歯ブラシの習慣付けに成功したのだ。
私がここまでやるのは、ひとえに息子の発達を実年齢に近付けたいという願いからだ。
これまで息子のことは「今朝の息子の朝食」でも紹介したが、言語発達が実年齢より2年程遅れている。
こういう子供を持つ親は、普段我が子にイライラさせられ通しだと思うが、子供の方も、実は自分の思いが一番近くにいる母親に伝わらずにイライラし通しなのだ。
どうしたらお互いイライラせずに済むか。どうしたら母親が笑顔で子供と接することができるか。
私がその部分から療育を考えたら、やはり答えは、智子先生もおっしゃっている
(略)褒めることが人をして大きく成長させるものであることは、もう検証ずみです。
だとしたら、やっぱり子どもたちを褒めることを,けちってはいけません。
気前よく褒めてください。
ということに行き着いた。
相手を褒める為には、相手をよく観察しなくてはできない。
親が碌に子供を観察していないのにただ言葉だけで褒めようとすると、とってつけたようなセリフになり、顔つきもそれに準じて別に笑顔を子供に向けるでもなし、、、それでは子供の耳には届くが心までには届かないと思う。
親が本気で褒めないと、子供には絶対心にまで響かないと私は思っている。
ダレかに何かを褒められたら、
素敵に笑って、「ありがとう」と言ってください。
嬉しくなることは、やさしくなることで、やさしくなれば相手のよさが発見できます。
心根の優しい子に成長して欲しい。
私の息子への願いだ。
※追記:10月8日
私が日頃お世話になっている「ジャンバラヤ」の方にも、内容が相応しいかと思うのでトラバします。
私が敬愛するニシオさん担当の『ジャンバラヤ 10:親』のコーナーに、今月のテーマ「親がインターネットを考える機会」とあった。
その一言に、んん?確かそれは~
そうそう!確か、私がちょくちょく遊びに行っているラムさんのところにそういう記事があったよ。
というわけで、ラムさんのインターネット ルール&マナー検定をご紹介しまーす。
もうラムさんたら凄いな~ 合格証のお写真まであって。:-)
お嬢様も一緒に受けられたなんて、素敵な親子ですね。
お2人とも、おめでとうございまーす!パチパチパチ
今朝ヤダヤダといって家族と一緒にテーブルにつかなかった息子。
私の方も朝は息子の弁当作りが最優先なので、特に説得したり無理やり椅子に座らせたりといったこともせず、流しに立ったまま「椅子に座りなさーい。」とか「ご飯食べましょう。」と口だけで、せっせと自分の仕事を続けていた。
家族が先に出かけてしまった後、息子がやおら台所のエレクターシェルフによじ登り、上に置いてある"おやつの籠"をがさごそと物色しだす。
「あー!」
息子が何かを手にして、ドンと飛び降りた。
「ママー これー」
手にしていたのは、私が息子を電車やバスの中で大人しくさせる為に買い置きしておいた、トーマスのチューイングキャンディーだ。
私は内心、あ~あ見つかってしまったか!と思ったのだが、息子の次の言葉を聞いて包丁を置いた。
ママー。これー。トーマスだー。
ママー。これー。かったのー?
ねえママー。 ぼくにかってくれたの?
そうだよ。
ママー。ありがとう
4歳3ヶ月の息子との会話。読んでも、たわいない親子の会話だと感じるだろう。
けれども、息子はついこの前まで発話が極端に少なく、要求は泣く・暴れるといった行動でばかり示す子供だったのだ。それが現在はこうして、ニコニコと嬉しそうに笑いながら私に礼まで言っているではないか。
ねえママー。ぼくこれたべていい?
ねえママー。これあけていい?
うん。食べていいよ。
わいわーい。ママー すきー
我が子にまともに朝食を取らせず、朝から飴を食べさせるなんて私の行為は、近所のPママ(注:ご近所に住むやたらと人の躾に口を挟むママだが、自分の子供の躾を棚に上げているので皆の失笑を買っている)が知ったらまた小うるさく言われるような"ダメ母振り"かも知れない。でも、だからってそれがどうしたっていうのよ!
そこで息子の手からトーマスキャンディーを取り上げて、「これはダメ!ご飯を食べなさい。」とは、私にはとても言えなかった。
だって、既に息子の言葉で胸がいっぱいになってしまっていたのだから。。。
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