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September 21, 2005

子どもと気持ちを共有することの大切さ 2

息子は現在5歳。幼稚園では年中組だ。
昨年、年少組に途中入園してからしばらくして、こんなことがあった。

その日はプール保育で幼稚園はサマータイム中だった為、昼に親子でお弁当を食べた後現地解散となり、私と息子は他の数組の親子と共にそのまま公園に残った。当時の息子は友達と一緒に遊ぶという気持ちが希薄で、1人でブランコに乗ったり足こぎカートで走ったりしていた。
私がベンチに座って息子を眺めていると、年中組の男の子が話しかけてきた。「※※のお母さん、あそこ見て。○○は何をしているのかなー」言われた方向を見ると、砂場の鉄製の囲いの上に立って腕を頭上に伸ばしている同じく年中組の○○ちゃんがいた。男の子と2人で近づいてみると、なんと砂場の上にぶどう棚ができていたのだ。「わあ!僕もとる」と言って男の子も囲いの支柱に立ち、まだ真緑ながら所々紫色になったぶどうの粒を採ろうと必死に背伸びを始めた。
「危ないよー」という私の声に気付いて、男の子と○○ちゃんそれぞれの母親 — そばでまだよちよち歩きの下の子と遊んでいた— が、駆け寄ってきて「あら、ぶどうがなってる」と言うが早いか、2人同時にひょいと囲いに立ち、「ほら」といってそれぞれ採ったぶどうの粒を子どもに手渡した。2人の子どもは囲いから降りて、砂場で「緑色のは固い。紫のはー(口に入れて)甘い。でも酸っぱい」などと言いながらお互い笑っている。

2人の子どもとその母親たち — どちらも私より5歳位年上 — がぶどうの粒を口にしている間、私は実はかなりのショックを受けていた。
危ないと言うだけで子どもにすぐ採ってあげなかった自分。公園にあるとはいえぶどうの粒を(それも1、2粒)採るのに躊躇した自分。庭先や公園にはえている木から自然の実をつまむ行為を野蛮だと感じ、そういう行為をする子どもを否定していた自分 —
いったい私は今まで何をしていたんだ。(上の)娘の幼稚園時代、私は「止めなさい」ばかり言っていた。私は娘の好奇心の芽を摘んでばかりいた。指示ばかりしてちっとも気持ちを共有してなかった。

公園の帰り道、私は息子を乗せた自転車を押して歩きながら、娘の幼稚園時代には出会えなかったお母さんたちに、息子の入園によって出会えたことを心から感謝していた。

参考:加藤諦三ホームページ - 人を育てる
    第2回 「母なるもの」を持たない母親は、言葉のなかに含まれている五感を子供に教えていない(1)


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